ロック史上最重要人物 ボブ・ディラン。
当初はフォーク・シンガーとして
活躍し、プロテスト・ソングを歌い若者の代弁者となる。
その後、エレキ・ギターを手にし、65年の"ライク・ア・ローリング・ストーン"
で革命を起こした。70年代はザ・バンドとともに大規模な活動をし、
80年代、90年代、00年年代と創造を続けている。
戦後のアメリカ文化に
多大な影響を与えた人物。
ボブ・ディランは1941年5月24日生まれ、ミネソタ州出身。 裕福なユダヤ系の家庭で生まれる。少年のころから詩を書き、 ギターを独学で覚える。"ロック・アラウンド・ザ・クロック" でロックに目覚め、エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードにも憧れるが、 大学に通うようになるとフォーク・ソングに没頭する。 ウディ・ガスリーに憧れ、大学中退後にニューヨークへ向かう。 そして、62年にデビューすることになる。
62年
ボブ・ディランはデビュー・アルバム"ボブ・ディラン"をリリース。
13曲中11曲がカヴァー曲であり、セールスは不振に終わる。
このアルバムでカヴァーしている"朝日のあたる家"は
後にアニマルズによってカヴァーされ直され、大ヒットを記録することになる。
63年
ボブ・ディランはアルバム"フリーホイーリン・ボブ・ディラン"を
リリース。この頃からディランはブレイクする。
このアルバムの1曲目"風に吹かれて"は60年代のディランの代表曲。
"北国の少女"や"くよくよするなよ"も高い評価を得た。
プロテストソングを作るようになり、若きフォーク・シンガー
として注目されるようになる。
64年
ボブ・ディランはアルバム"時代は変わる"をリリース。
プロテスト・シンガーと呼ばれるディランがさらに
進化したアルバム。アメリカ社会に対する当時の若者の
思いが詰まった作品。
そして、この年にもう一枚"アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン"
をリリース。
65年
ボブ・ディランはアルバム"ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム
"をリリース。このアルバムはフォーク作品となった。そして数ヶ月後に
歴史を変えることになる
ボブ・ディランはニューポート・フォーク・フェスにエレキギターを
持って登場する。そして、その後のロックの精神的支柱となる
"ライク・ア・ローリング・ストーン"を収録したアルバム
"追憶のハイウェイ61"をリリース。
シングル"ライク・ア・ローリング・ストーン"は全米2位となり大ヒットを
記録した。この6分超の大曲はさらにロック・ブームを加速させた。
ボブ・ディランは”フォークの貴公子”から”フォークの反逆児”と
呼ばれるようになる。
66年
ボブ・ディランはアルバム"ブロンド・オン・ブロンド"をリリース。
このアルバムは2枚組の大作となりフォーク・ロック、ドラッグ・ソング
などを収録している。裏切り者と呼ばれながらもツアーを続け、
このアルバムでも、もちろんエレキギターを弾いている。
この頃から後にザ・バンドとなるメンバーとツアーを共にするようになる。
しかし、オートバイ事故で重傷を負い、しばらく休養をとることになる。
67年、休養をとりながら後にザ・バンドとなるメンバーとともにレコーディング
を行い、リハーサル・テープが完成する。このテープは75年にアルバム"地下室"
としてリリースされる。
68年
ボブ・ディランはアルバム"ジョン・ウェズリー・ハーディング"を
リリース。ディランの復帰作となりシンプルな出来に。
69年
ボブ・ディランはアルバム"ナッシュビル・スカイライン"をリリース。
"フリーホイーリン・ボブ・ディラン"に収録されていた"北国の少女"
をこのアルバムの1曲目に収録し、ジョニー・キャッシュとデュエット
している。シングル"レイ・レディ・レイ"も大ヒットした。
70年
ボブ・ディランはアルバム"セルフ・ポートレイト"
をリリース。このアルバムはカヴァー曲やザ・バンドを従えて
行ったライヴなどを収録している。
ジャケットはディランが書いた絵が使われている。
同じ年にアルバム"新しい夜明け"をリリース。
ポップな作品となり、1曲目の"イフ・ナット・フォー・ユー"
は後にジョージ・ハリスンによってカヴァーされるようになる。
73年
ボブ・ディランはアルバム"ディラン"をリリース。
このアルバムはすべてがカヴァー曲となっている。
74年
ボブ・ディランはアルバム"プラネット・ウェイグス"
をリリース。トップ・バンドとなったザ・バンドと共演した
アルバム。
同年にアルバム"偉大なる復活"をリリース。
ザ・バンドとの大規模な共演ツアーも話題となった。
75年
ボブ・ディランはアルバム"血の轍"をリリース。
このアルバムはディラン的な戦争や人種の作風ではなく、
妻のサラとの関係が作品の中心。この作品での
ディランが書いたストーリーもすばらしい。
76年
ボブ・ディランはアルバム"欲望"をリリース。
このアルバムはボブ・ディラン最大の
セールスを記録した。
また”ローリング・サンダー・レヴュー”ツアーも
成功した。
同年にアルバム"激しい雨"をリリース。
”ローリング・サンダー・レヴュー”ツアーのライヴ・アルバムとなった。
78年
ボブ・ディランはアルバム"ストリート・リーガル"をリリース。
この年ワールド・ツアーを開始し、日本にも来日した。
日本でのライヴ・アルバム"武道館"もリリースした。
79年
ボブ・ディランはアルバム"スロー・トレイン・カミング"を
リリース。熱心なクリスチャンとなったディランはこのアルバム
で神について歌っている。
80年代のボブ・ディランの活動
クリスチャンとなったディランはゴスペルを歌うようなる。 ライヴでもゴスペル系の歌しか歌わないようになるが ファンに批判されたため、後に従来のヒット曲も披露するようになる。
史上最大のチャリティ・コンサート”ライヴエイド”で ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドと ともにトリを務めたが、アクシデントが起こり内容は最悪となる。
その後、グレイトフル・デッドと共にツアーを行い、 共演ライヴ・アルバムもリリースした。
ライヴでU2と共演したり、ガンズ・アンド・ローゼズが大ヒットアルバム "ユーズ・ユア・イリュージョンII"でディランの"天国への扉 (ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア)"をカヴァーしたため、新たな世代の ファンが生まれる。
ボブ・ディランが80年代にリリースしたアルバム
"セイヴド"
"ショット・オブ・ラヴ"
"インフィデル"
"リアル・ライヴ"
"エンパイア・バーレイク"
"ノックト・アウト・ローデッド"
"ダウン・イン・ザ・グルーヴ"
"ディラン&ザ・デッド~ライヴ"
"オー・マーシー"
88年から”ネヴァー・エンディング・ツアー”と呼ばれる小さめの
ホールを周るツアーを行う。
94年には”ウッドストック1994”に出演し、MTVの人気番組”アンプラグド”
にも出演した。
その後、従来にくらべスロー・テンポながらオリジナル・アルバムを 発表していく。97年にリリースしたアルバム"タイム・アウト・オブ・マインド" では18年ぶりに全米トップ10に入った。
2000年代に入ってもマイ・ペースで活動を続け、ホワイト・ストライプス
など若いアーティストとも共演する。
また、ラジオでDJも担当するようになる。
ディランはロンドン・パンク・バンドのザ・クラッシュのファンであり、
自身のラジオでザ・クラッシュの曲をよくかけている。
ボブ・ディランが90年代、00年代にリリースしたアルバム
"アンダー・ザ・レッド・スカイ"
"グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー"
"奇妙な世界に"
"MTVアンプラグド"
"タイム・アウト・オブ・マインド"
"ラヴ・アンド・セフト"
"モダン・タイムズ"
ボブ・ディランはアメリカ文化に多大な影響を与えた。これは紛れもない事実だ。